次の日曜日は衆議院選挙の投票日ですね。
今読んでいる本の中に、福澤諭吉先生の「学問のすすめ (現代語訳:齋藤孝)」があります。
衆議院選を前に、国民としての立ち位置についての提示に深く納得したので、記録していきます。
政府は国民の代理であって、国民の思うところにしたがって物事を行うものである。
現代語訳学問のすすめ 福澤諭吉(斎藤孝:訳) 第6編より
第6編はこの一文から始まり、そのあとに国民は2つの役目があると続きます。
一つ目:自分の代理として政府を立てて、国内の悪人を取り締まって善人を保護すること
二つ目:政府との約束を固く守って、その法に従って保護を受けること
だから国法は尊く、つつしんでこれを守らなければならないとも述べています(自分たちで作ったのだから)。
法を破ったときに警官に見つかってしまったとしたら、それは怖い警官に捕まり罰せられたのだ(=警官を怖がる)と思うのではなく、国法を破ってしまったので罰せられたんだと省みるべきだと説いています。
法に疑問や不具合があれば自分で何とかするのではなく、変更するための案を議会に提出しましょうとありました。
そして続く第7編では
主人の立場から考えれば、一国の人民がすなわち政府である。
現代語訳学問のすすめ 福澤諭吉(斎藤孝:訳) 第7編より
とあります。
国中の国民がみんな参加して、話し合って政治を行うのは無理です。
そこで国民が政府を作って政治を任せ、人民の代理として事務をさせる、という約束を作りました。
ここでは客人の立場からの国民についても書かれていますが、自分はこの一文に発見に似た喜びの感情を持ちました。
そうなんです、議員さん達って、国民の代理なんです。
政府を作っているのも私たち国民なんです。
当たり前っちゃ、当たり前すぎる事実なんですが、意識したことなかったです。
だって、国会議員さんて先生って呼ばれて威張っているイメージがあります。
私(国民)の代理だなんてイメージ付きません。
エリートのお偉いさんのイメージ、理解不能の雲の上。
そして私は今まで議員さんって、職業のひとつだととらえていたんですよね、国民の意見をまとめるのが
仕事、みたいな。
魚屋さん、花屋さん、お医者さん、議員さん・・・。
自分の代理を託す気持ちで投票したことなんてなかったんです。
「国会議員を責めている人がいるけど、選んだのは国民でしょ」
という意見に、
「だって私が選んだ人(政策)はいないよ」
と反発する気持ちがありましたが、今回、この意見に深く納得しました。
そう思うと、自分の投票した議員さんが当選しなくても、投票することに意義があると心の底から思えます。
ちなみに、今回子どもから
「国会議員って、法案を作成して提出するのが仕事だよ。」
と教えてもらいました(そういえば存在が遠すぎて何してんのか調べたことなかったわ)。
そんなことを聞いたので、どの人がしっかり勉強して、国全体のことを考えて、いくつ法案を提出しているのか意識してみるようになりました。
というわけで、自分の意見を託して投票に行きたいと思います。

本日も読んでくださり、ありがとうございました。
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