Official髭男dism アポトーシスを聴いて看護師が思うこと【絶賛】

感想・つぶやき

 Official髭男dism、素敵ですよね。

曲も歌詞も最高だし、溢れ出る才能とセンスに唸ってしまいます

特に、アポトーシスの題名にはしびれました。

死をおそれながら、感情抜きにした生物学的見解も含めて見つめているように感じます。

天才です。

曲全体から受け取る印象

 自分自身が死んでしまう未来を予想しながら、パートナーと過ごす日々が曲になっています。

悲しさが大きすぎてどうしても暗い印象の曲です。

それなのに、命の存在と向き合う時は優しくて救われるような、心がぎゅっとなる曲調も混じっています。

暗さと優しさが一緒に存在している感じを受けました。

受け止めきれない悲しみを背負いながらも、ぐっとこらえている人物像が浮かびます。

歌詞から思い出す患者さんのこと

 病院なので、年齢を問わず死と向かい合っている人と毎日過ごしています。

現場だからこそ、このアポトーシスの歌詞が胸に迫ってくるのです。

歌詞からは、近くはないけれど確実にやってくる死への悲しみや苦痛が書かれています。

でも、私にとっては死を覚悟して過ごされている患者さんたちがどうしても浮かんでくるのです。

今宵も明かりのないリビングで

思い出と不意に出くわしやるせなさを背負い

水を飲み干し シンクに

グラスが横たわる

                    作詞:藤原聡 「アポトーシス」より

この歌詞なんて、逃げ切れないという絶望感が迫ってきて息をのみました。

治療に区切りがついて退院しても、これは一時のことなんだ、と思うと患者さんもやるせない気持ちになったと思います。

空っぽ同士の胸の中 眠れぬ同士の部屋で今

                   作詞:藤原聡 「アポトーシス」より

かける言葉も、その場にふさわしい言葉も思いつかないまま時間だけが過ぎていく様子が目に浮かびます。

浮かんでくる ある女性のこと

 その人はがんが見つかり、手術をしたあと延命を目的にして抗がん剤治療を受けていました。

70代の女性です。いつもにこやかで優しい声で話をしてくださる人でした。

入退院を繰り返していると、お互い打ち解けてきます。

そのうち私の家庭の愚痴まで話すような間柄になりました。

その方のご主人も優しい方で、言葉は少ないですがそっと支えている印象をうけました。

その家族の中にいると、優しい時間が流れていることが分かります。

 治療を続けるうちに、痛みが出てくるようになりました。

痛みをコントロールするために薬を調節したり、放射線療法を行ったり、他部署と連絡を取ったり。

それでも、そんな中で

「旦那さんとは仲良くしてる?」

など、ほほえみながら私に声をかけてくれるような方です。

死を意識する闘病生活の中、日常に意識を戻してくれるようでした。

いよいよ1人で入院する体力がなくなってくると、ご主人に付き添われて入院するようになりました。

最期はお家で過ごすことが難しくなり、緩和ケア病棟で家族に囲まれながら息を引き取られました。

アポトーシスを聴くと浮かんでくるのはいつもその方です。

家族がお互いを求めあい、支え合っている姿が曲と重なるのです。

亡くなった祖父のこと

 身近な人の死は、母方の祖父が初めてでした。

看護師であった私は、祖父母の療養生活に付き添いました。

祖父はがんが見つかった後も、特に死について発言したことはありませんでした。

私も、よく受診に付き添いましたが弱音を聞いたことがありません。

そんな祖父が病気をして変わったことは、あまり怒りを外に出さなくなったこと。

そして、害虫でも生き物を殺さなくなったことです。

落ち葉も空と向き合う蝉も

私達と同じ世界を同じ様に生きたの 

                   作詞:藤原聡 「アポトーシス」より             

普段、意識もしたことがなかったけれど、自分が死と向き合うとさまざまなところに命が存在していることに気付かされます。

自分の中に存在している生と死が、小さな虫の中にもあることを祖父も強烈に感じていたのでしょう。

 祖父が亡くなったときには、死が存在する非日常の中で悲しみに暮れている自分がいました。

それなのに式場から一歩外に出ると、普段と同じように動いている日常の世界がありました。

そこはまるでパラレルワールドのように感じられて、不思議な感覚になったことをはっきり覚えています。

死を意識するだけで異次元に迷い込むのかもしれません。

繊細で優しい時空間が確かにありました。

看取りを繰り返し行きついた死生観

 亡くなる前の病室は重ぐるしく、暗い雰囲気です。

周りで見守る家族は患者さんの吸う息と吐く息に集中し、交わす言葉も少なく、音は酸素を送る機械の音のみ。

もしくは、ご家族が患者さんの手を握ったり、体をさすったり、思い出話や感謝の言葉をかけていることもあります。

そこでは、ゆっくりとした時間が流れているのです。

やがて苦しい時間が過ぎ去ると、家族と一緒に帰っていく患者さんを見送ることとなります。

空になった部屋の中は不思議と軽く明るくなり、場合によっては日がまぶしく差し込んでいることも。

そこで、あぁ、楽になってお家に帰ったんだなぁ、よかったなぁ、と実感するのです。

 私には現場に長くいて、やっと言葉にできるようになった死生観があります。

それをあんな若いうちからあそこまで表現された藤原さんは本当にすごい

出会えた恩にも感謝です。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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