以前にも書きましたが、命の現場にいると、考えが堂々巡りしてしまう時があります。
はっきり言って、答えのない問いの話です。
さまざまな人の生き方を見たり、聞いたりすることで考える機会を与えてもらっていると受け止めています。
ここでは3つの例が挙げられていますが、個人情報の面から事実に脚色を加えています。
家族の支え
寝たきりで、一日中ベットの上で過ごす患者さんです。
食事も介助で食べており、おむつ内で排泄されるので24時間の介護が必要です。
また、認知症もあるので、ニコニコしていますが話しかけても返答はありません。
本当に優しそうな、きれいな女性で、ケアをするとこちらまで癒されます。
発熱で入院されましたが、熱が下がって呼吸状態も良くなると、退院の話が出てきました。
退院先として施設などの希望も家族に確認していますが、自宅への退院を希望です。
帰る前に自宅で必要な医療や介護の準備を済ませ、退院していきました。
それとは逆に、
「分からないので必要な医療行為はおまかせします。あと、家ではみれません。」
という、家族もいます。
本人も意識がなくて、家族が治療を選択しなければいけないときに聞かれるセリフです。
若い頃の私だったら、マンパワーの不足している家族に対して
「もっと協力してほしい」
と思っていたことでしょう。
今は違います。
私自身も、介護の経験(がん闘病の祖父と認知症の祖母、同時介護に携わりました)があるからです。
その感想を一言で表すと「ひとりで抱えてはいけない」です。
自分自身が倒れてしまいそうでした。
そして、介護で仕事を失い生活保護で生活している人を知ったとき、プロに頼ることも間違いではないと考えるようになりました。
だからこそ、家でみる家族って本当にすごいなぁ、と尊敬の気持ちでいっぱいです。
介護の負担はやった人にしか分からないです。
本人含め、みんなで納得して、着地点が見つけられたらそれが正解であり、いろんな形をみてきました。

治療選択の権利
がんになると、手術や抗がん剤投与、放射線治療や最先端医療などさまざまな治療を紹介されます。
本人が最初から治療を望まない場合でも、家族が
「治療してよ」
と頼んで、治療を開始される患者さんもいます。
それも一つの選択でしょう。
もし、それで改善したら多少副作用が残っても「やってよかった」と思うかもしれません。
逆に、思ったように良い結果が出ず、しかもその治療のために自分のできることが少なくなってしまったら、、、。
現場にいて悶々とする場面のひとつです。
「ほんとは自分は治療をやめたい」
患者さん自身のそんな一言に、どうやって返事したらいいんでしょう。
この言葉の返事に正解はありません。
見つけることができずにいます。
生きる権利、死ぬ権利
かなり前の話ですが、家族が
「絶対に助けてください」
と、医師に頼み、人工心肺や透析などの機械に囲まれながら生きている患者さんがいました。
もちろん意識が戻ることはありませんし、今後の回復も厳しいです。
会話もできず、目が開くこともなく、食事も排泄も管からです
その後、しばらくしてその患者さんは亡くなりましたが、やはり印象に残っている事例のひとつです。
最後に

医療現場は命の問題に直結する問題が多くあり、人の数ほど選択があり、答えもありません。
患者さんやその家族は、医療者をプロと思って悩みを打ち明け、相談してくれます。
しかし、選択肢を提示したり、悩みに寄り添ったりすることはできても最後に決めるのは本人やその家族です。
また、寄り添ったつもりでいても後で
「あれでよかったんだろうか」
と、いつでも最善の答えを探ってしまいます。
今でも思い返すと、無力感でいっぱいになります。
ひとりでも多くの人が、最後までその人らしく生きられますように。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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