医療の現場で働いていると、テレビなどのメディアでは放送されないリアルがあります。
命の尊厳と個人の想いと倫理のはざまでもがく日も多いです。
判断に迷う時、こころでつぶやくのは
「自分に、もしくは自分の大切な人にそれをされたらどう思うか」。
これを反芻しています。
今日は看護師を取り巻く問題の中で、深刻だなと思っていることを書いていきます。
人手不足

自分が置かれている状況からしか伝えることはできませんが、毎日人手不足を感じています。
廊下を走ってはいけないけれど小走りに移動しないと仕事が回りません。
常に次のことを考えながらの移動です。
忙しさの中で繰り広げられる様々な現象を分析し、必要なケアを自分の引き出しの中から選び出します。
ケアには失敗が許されず、常に集中力が必要です。
歯車のひとつである自分が嚙み合わせを外すことによって、すべての動きがくるってしまいます。
常にスケジュールを把握・調整しなくてはいけません。
とはいえ、スケジュールを立ててもそれを乱す事柄が1つ、2つ、3つと湧いて出てきます。
仕事が終わるとくたくたになって、それでも何とか帰宅するHPだけは残しておうちにたどり着く毎日です。
毎年たくさんの人が辞めていく

いろいろな理由があるとは思うのですが、根本的には疲れてしまうのだと思います。
精神的にも負担が大きく、現場が忙しいため長期の目標が見いだせなくなってくるのです。
目標が示されたとしても、それを実現している現場は少ないと思っています。
理想ばかり高くて現実的ではない目標は、やる気のある人間から生気を吸い取ります。
今働いている職場の周りでも、職員の大量辞職のために病床を減らしている施設が数か所あることを把握しています。
誇りが持てない給料
復職した時に、病院のパートタイマーで勤めていました。
しかし、その1つ前に働いていたお歳暮の商品ラベル張りの時給と同じでした。
命を預かる仕事とお歳暮のラベル張りのバイト、同じ時給だったことは今でも苦い思い出です。
給料の発生しない前残業が当たり前
仕事始めに電子カルテから情報を拾っています。
出勤するとまずは1人1人の情報を書き出してその日に行うケアを手書きで一覧表にします。
そのために始業30分前にはもうパソコンの前に座っているのです。
これは「前残業」になりますがもちろん給料は発生していません。
情報をとり逃して
「ここに書いてあるのに何でやってないの。報告書ね。」
と言われるとぐうの音も出ません。
これについては独立した記事で書けるレベルです。
IT化が進まず、体を使って穴埋めしてます
認知症の患者さんがいなくなると病棟スタッフが探しに病棟を離れます。
患者さんが病棟から離れたことだけはセンサーで分かっています。
でも、どこにいるのかは分からないから探しに回ります。
よその病棟の患者さんの場合もあり、顔も分かりません。
はっきり言って時間がもったいないですし、病棟に残っている患者さんの安全面も気になります。
いったいこれは何の時間なのか。
GPSという便利なツールはどこに行ったのでしょう。
症状やデータなどを入力することで病名が出てくるAIのことだとか、患者さんの体を支えてくれるロボットだとか。
そんなのいつ現場にやってくるんでしょう。
働いていると
「これ、プログラミングでどうにでもなるのに。」
と思う場面がかなりあります。
病院には予算がないそうです。人の労力でその穴埋めをしています。
命と向き合う

毎日が、これです。
生も、死も、身近な日常なのです。
そこにある緊張感は医療者の神経をすり減らします。
それでも、生まれてきた新しい命も、役目を終えて帰っていく命も尊いです。
自分と向き合って、病室で自問自答していた人が流した涙を私は忘れません。
一緒に涙を流し、抱き合った人が何人いることでしょう。
学びをもらって毎日、私も自らを振り返ります。
そうすることで重たい足が一歩前に進んで、また現場に向かうことができるのです。
まとめ
私を取り巻く医療の現場は
・人手不足で
・毎年たくさんの人が辞めていき
・誇りが持てない給料で
・IT化も進んでいません。
そんな場所ですが、命と向き合い自らとも向き合える場所です。
他にも教育の問題や、医療者の健康問題など、書き出すときりがないですけどね。
以上です。ありがとうございました。
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