我が子へ伝えたいこと【学習より大切にしていること】

子育て・教育

 私は子どもがわんさかいた昭和に生まれたからか、大人の主張の強さに乱暴さを感じながら育ちました。

様々な人の意見に振り回され、軸を作ることにかなり時間がかかりましたがその分ぶれにくさもあります。

手探りで失敗しながら生きてきたのです。

だからでしょうか、我が子には知っていることはすべて伝えようという気持ちがあります。

日常の出来事の中で、生き様を伝えられそうなとき、分かりやすく具体的に伝えます。

伝えきれなかった分は、背中を見せることによって感じてくれていると信じています。

しつけと社会でのマナー

 私が家族から受けたしつけは主に生活についてです。

挨拶、食事は残さない、掃除の仕方、洗濯のやり方、順番を守る、とかかな。

もっと幼いときは、嘘をつかない、素直に謝る、人のものを取らない、感謝の気持ちを伝える・・・きりがないです。

我が子が幼い頃はこれらを親が実際に行うことで、見せて教えるようにしていました。

これに加えて、社会に出ると大人の中でのルールがあります。

訪問するときの失礼のない服装や、訪問前にあいさつやアポイントメントが必要とか、知らない知らない。

勉強会にジーパンで行ってはいけないだとか、高校卒業したばかりの小娘には分からないです。

私はこれらを看護学校で教えてもらいました。

看護学校の先生は、こんな学生たちに手を焼いていたことでしょう

感謝の気持ちがあるからこそ、気付いたときには子どもにもルールを伝えています。

知らないよりは知っていた方がいいので冠婚葬祭は必ず調べるようにしており、我が家の本棚ではマナーブックがいつでも出番を待っています。

習い事先で学んだこと

 子どもはピアノや学習塾、近所のボランティアの英会話教室など、習っていました。

子どもにとっては、訪問の時のマナーを学ぶ良い機会です。

挨拶はもちろん、靴のそろえ方や靴を置く位置も教えました。

実際は、私もよくわからなかったので一緒にyoutubeを見ましたね(笑)。

子どもが靴下を履かずに何度かお邪魔したことがあったことを先生から教えてもらったこともあります。

はい、白状します。

裸足で家に上がることが失礼に当たるって、親の私は知らなかったんです。

恥ずかしい。

教えてくれた先生も、さぞかし忠告することは嫌だったでしょう。

ありがとうございます。

あとは、季節のあいさつや発表会のお礼など子どもと一緒に先生に渡していました。

習い事で、習い事の内容以上に、親子で様々なことを学ばせてもらえました。

自分のことは自分で

 最近下の子が外出先で使い終わったティッシュの始末に困っていました。

「ポケットティッシュの横に脇ポケットがあるでしょ。ここに入れるといいんだよ。」

と、教えると

「えー、知らなかった。」

と、返事がきました。

今まで、子どもは出先で手元にゴミがあると

「これ」

と、困った顔をして母親の私に渡していたのです。

それを黙って回収していたため、子どもはゴミの行き先を考えたこともなかったのでしょう。

この出来事のおかげで、我が子は自分のことは自分でできているか再チェックする気持になりました。

そう思うとまだまだ子供への声掛けは必要です。

そういえば私の旦那さんも自分がいらなくなったものを私に渡してきます。

たぶん私のことをごみ箱だと思っているんでしょう。

次に使う人のことを考える

 トイレに入るとトイレットペーパーが切れていたり。

お風呂に入ったら、泡立ったお湯が洗面器に入っていたりだとか。

これって、次に使う人のことを考えていないからだと思いませんか。

実は、就職してからもこれができない後輩を何人も見てきました。

自分が最後に使った、自分までぎりぎり使うことができた、それを使ってそのあとは分からない・・・。

医療の現場では、緊急で使いたい物品がけっこうあります。

その物品が使えなかったから、なかったからできませんでした、では患者さんは許してくれないでしょう。

だからこそ、物品の管理ってかなり重要なのです。

次に使う人のことを考える。

家庭でぜひ、子どもに身につけさせたいことのひとつです。

お互いに支え合うこと

 人間社会では、お互いがお互いを支え合って、迷惑を許し合って暮らしています。

たとえ自分の利益にならなくても、困った人がいたら声をかけたり、自分の時間を提供するなどの行動を起こす勇気が欲しいです。

人を助けていることは、自分自身をも助けていることにもなると伝えています。

これは経験を積まないと実感できないので、我が子はピンときていない顔して聞いています。

逆に、自分自身もSOSを発することができなくてはいけません。

損得を超えて、(自分も含めて)万人にとっての幸せを考えられる人に成長できますように。

自己犠牲とは違いますよ。

また、相手のわがままな欲求に無抵抗で従うこととも違います。

これにも経験が必要になってきますので、日常の出来事をこのポリシーに従って話すようにしています。

学び続ける姿勢

 調べたり、経験していくことで知らないことが発見できたり、知ることができたり。

まだまだ私自身も学んでいる最中です。

学びがあった日は子どもに伝えるようにしていますし、子どもが悩んでいるときは一緒に解決策を探ります。

正解はひとつではないときもありますので、様々な角度から物事を見るようにしています。

また、私が解決するために行っている行動は子どもに見せますし、話したりするようにしています。

子どもが迷った時に、自分たちの力で解決策を探るヒントになるかもと思うからです。

悩んでいる親の背中を見せる

親だって、七転八倒して生きています。

目の前で人生に転んで泣いている大人がいるのを見るのって、貴重な体験です。

そのような姿勢を見せるときには、不安がらせないように何に悩んでいるのかも話します。

そして、自分はどうしたいのかも伝えて、その後の経過も話しています。

丸まった親の背中を見せる、それでも人って生きていけることを証明したい。

そして、人生の失敗もいつか必ず笑える日が来るんだ、と感じてほしいです。

みっともない姿をどんどん子どもに見せています。

人生はエキサイティングで、怖さもあるけれどドラマチックです。

泣くだけ泣いてどうしようもなくなったら、笑えばいい。

そしたら勝手に明日が来ます。

最後に:伝えたいことを伝えるために

 子どもを育てていると注意やしつけ直しが必要と思われる場面が何度も出てきます。

ざっくばらんに言うと、母性を前面に出すといいんです。

許している怒りを持って、相手の立場に立って、自分の失敗談も交えて、理由もしっかり伝える。

ウザくても、嫌われても、長い目で見たらそこにメリットを感じています。

もちろん、注意するためには信頼関係というベースは絶対に必要です。

そんな子育てを通して最終的には、

「あー、お母さんがやっといなくなった、嬉しい。」

と言われるほど子どもが自立することが目標です。

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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