親戚一同で集まると、そこに集まる人の傾向、というか共通の雰囲気を感じませんか。
血がつながった人が集まると、そこに価値観やモノの見方、発言に傾向があることに気づかされます。
ちょっと視点を変えて、そこに自分との共通点を見つけてみましょう。
自分という人柄が見えてきます。
例1:私の後天的な性格を作った母方の親戚
両親が共稼ぎだったので、母方の祖母に育てられました。
そのため、子どもの頃は母方の親戚に囲まれて育ちました。
母の親戚はお互いを干渉する傾向があり、集まると他人の話になります。
私はそのような傾向が強くないため、黙って聞いているだけでした。
人ってこうされるとこう思うんだ、気を付けよう、と思っていた程度です。
また、大人になってから気付きましたが、母の親戚は過干渉、というよりも自分とみんなが一緒だと信じているようです。
悩みを話すと、自分のことのように怒ったり、悩んだり、悲しんだりします。
最初から同意を求めて話しているようにもみえます。
それはひとつの目標達成に関してはいいことでもあります。
でも悪い点で言うと、一度こじれるとなかなかほぐれません。
私の考え方や価値観の一部は、この環境によって後天的に作られました。
人との付き合い方に慎重になりますし、言葉選びに注意するなど対人関係に大きく影響しています。
例2:私の先天的な性格の傾向を感じる父方の親戚
父方の親戚はさっぱりしているように見えます。
軽い感じで会話が進みます。
会話の途中で茶化したり、冗談を混ぜたりします。

話の内容も主観で語られることが多く、一つの物事について意見を交換しています。
実は、私もこの傾向があり父の親戚には近いものを感じてしまうのです。
父方の親戚で集まるとついつい、軽口をたたいてしまいます。
それでも上には上がいるため、笑い話が大きくなりすぎて収集が付かなくなることもあるぐらいです。
明るくて楽しいですが、真面目な話をしたいときはしっかり前置きが必要です。
また、もう少しいろいろ考えた方がよいのでは、と思う時もあります。
父の親戚に合うと、自分の長所・短所を客観的に見せられているようで反省も多いです。
例3:夫の親戚

夫の親族は優しく、あまり人のプライバシーに踏み込みません。
それは、嫁の私の立場からすればよい距離間ではありますが、本当に苦しい時、どこまで吐き出していいのか分からなくなる時があります。
私の生まれ育った環境では、親戚とはいえ自分以外の人に苦しみも悲しみも喜びも伝えあう感じでした。
夫の親族にはそんなことをすれば重たく感じられるかもしれない、と控えてしまうことがあります。
病気のことも
「心配させないように」
と、親子間、兄弟間でも内緒にすることがあるぐらいです。
それがいいとか、悪いとかの話ではないです。
夫の親族の中にいると、自分がまた違う価値観を持っていることを感じますし、自分のアイデンティティーも色濃く感じます。
まとめ
若い頃、自分探しとか、アイデンティティーの確立とか、流行っていました。
そのため、10代の頃は、
「自分とは何か」
と思い出したように考えたこともあります。
20代になると、自分自身のことや未来を知りたくて占いに行ったりしたぐらいです。
暇だったんでしょう。
思えば、自分を知りたければ親戚の中で観察してみればよくわかるのです。
今では、自分の心の声がそのまま子どもの口から吐き出されることがあり、ドキッとします。

なんにせよ、忙しい毎日の中で立ち止まり、自分を客観的・冷静的に観察できることはとても良いことです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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