仕事現場って、人間関係が要ですよね。
医療現場は時間がないことや仕事量が多いのにミスが許されないというプレッシャーが高い。
その中で看護師は医師のサポートや患者さんの管理など人間関係にはさまれるストレスの多い仕事です。
現場では仕事内容も濃いですが、熱い人間ドラマも毎日繰り広げられています。
振り返ると学ばされたなぁ・・・と思った人間関係を今日は書きます。
2つとも私が20代だったころのお話です。
新人に強く当たるAさんの話
怖いと噂のあったAさんが私の所属する病棟に勤務交代でやってきました。
勤務交代の理由も、Aさんのために新人や若い看護師が何人も退職したから、という理由でした。
そんな前情報もあったため、同僚から聞く話もあまり良いものではありません。
実際に勤務して一緒に働きだすと、Aさんより早くから在籍しているスタッフとは普通に接しています。
20歳以上年下の私にもそんなにつらく当たってくることはありません。
逆にいろいろ質問されてお礼も言われました。
問題は、新人さんに指導しているときです。
その一言一言のひどいこと。
初めて行う処置の説明に、最初から怒り口調で責めているような感じです。
ひどいと思いますが、かばうと新人さんに余計つらく当たるのです。
20歳以上も年下の私になすすべもありません。
嫌だなと思いつつ、新人さんや後輩に慰めの言葉をかけるしかありませんでした。
3年ほど経過したでしょうか。
Aさんが病気になって、そのままうちの病棟に入院しました。
そのお世話をしたのが、いびられていた新人さんや若いスタッフたちです。
Aさんは何度も世話を受けるたびに謝ったり、お礼を伝えていました。
手術を受けていましたから、本当に体を後輩に預ける感じです。
独身で両親も遠く離れているため頼れる親族がいないからでしょうか、そこには気弱なAさんがいました。

病気は治ってまた病棟に戻ってきましたが、だいぶ態度も改まっていました。
その後はまた勤務交代の辞令が出て、我が病棟から去っていきました。
自分が一番だったBさんの話
40代の病棟管理職(病棟師長の一つ下の役職)のBさんは、よく他のスタッフとトラブルになることで有名でした。
30代の先輩がよく休憩室で愚痴っていたのを覚えています。
頭が良かったんだと思います。
指導計画書など提出しても、提出しても、提出しても、OKが出ないそうです。
仕方なくOKが出るのはいつもぎりぎり、その計画が実行される1週間ほど前だと聞きました。
理想が高かったのでしょうか、理論はピカイチで自分の意見は譲りません。
それぐらいならまだいいのですが、悲しいかな、自分のミスを後輩にかぶせることがありました。
噂では、出世したいからミスの報告書は絶対に書かない、とのことです。
実は私もこの上司のミスをかぶったことがあります。
そうしてしばらくして、我が病棟の看護師長になりました。
師長ともなると、関わる現場が広くなります。
トラブルを起こす前にその下の役職の看護師がいろいろと先回りして動いているところも見ました。
3年ほど師長を務めた後、合わないからとBさんは病院を退職し、看護大学の先生になりました。
その後聞いたのは、50代という若さで亡くなったという事実でした。

学びをくれた人生の先輩たち
力があれば悪いことをしても成功して幸せに暮らしている、と社会の矛盾に漠然といらついていた時期があります。
力が物を言っていた昭和の時代はそんな話がそこら中にごろごろあったからです。
そう感じていた若い私にとって、前述した2つの出来事は成長をもたらしました。
今までの不満や、やり場のない怒りがスッと消えたのです。
相手につらく当たる人の背景を何も理解していなかった自分の愚かさと、先を見通す力のない自分の無力さから反省する気持ちになったのです。
威圧感や恐怖、権利で人をコントロールしようとしたり傷つけるとよくない結果が待っている、と今でも私は信じています。
まるでパズルのように、それは正確に。
そして、今では自分の人生を使って学ばせてくれた先輩に感謝を感じます。

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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