認知症の祖母の介護【看護学生の頃の思い出】

介護

母が働いていたこともあり、母方の祖母に育てられました。

その祖母が認知症でした。

また、看護学生の時の寮が近かったものですからよく祖父母の様子を見に通っていました。

その思い出を書いていこうと思います。

祖母に育ててもらった思い出

 孫を育てていた頃の祖母は本当に怖かったです。

いつも怒っている印象があり、手を付けられない孫にたたくふりをすることもありました。

祖母は子どもに愚痴や嫌味を言う人ではありませんでしたが、その分恐怖でコントロールしているようでした。

私は怒られたくなくて静かにしていたので、たたかれた覚えはありません。

その代わりに、祖母が機嫌よく過ごせるように、よく顔色をうかがっていた覚えがあります。

うそをつかない、独り占めしない、人のことを考える・・・祖母が教え込んだしつけは筋の通ったものでしたが、怖さの方が心に強く残ってます。

かわいくなってしまった祖母

そんな祖母ですが、認知症が進むにつれて気弱な言動が増えていきました。

最初のうちは認知症によって起こした間違いに対して、指摘する祖父に本気で怒っていました。

それが、怒る回数が減ってきます。

最終的には、何とか取り繕って会話している様子が伝わってきました。

私が何か説明すると、たとえそれが間違っていても

「うん。」

と、うなずいてしまうのです。

周りの様子を気にせず、一人で作業をしている祖母の姿に何度か泣けてきたことがありました。

あんなにいろいろ教えてくれた、無敵だと思っていた大人が小さく見えて悲しくなったのです。

それでも自分の子の名前は全員忘れても孫の名前だけは忘れませんでした。

そんなこともまた、孫の私には泣けてきてしまうのです。

認知症になってから増えた会話

 子どもの頃は怖くて自分から話しかけることができなかった祖母に、私は本音で話すようになりました。

祖母は私の話を遮ったり、否定することもなく

「そうだね。」

「それでいいと思うよ。」

など、合いの手を入れて聞いてくれました。

そんな祖母に、私は看護学校での出来事や自分の悩み、愚痴をこぼしていました。

すぐに忘れてしまうだろうと、かなり自分の思いをストレートに話していたと思います。

ある日、テレビを見て一緒に文句を言いたくて話を振ったときには、困った顔をして笑ってごまかしていました。

基本的に人の悪口や、愚痴を言わない人です。

認知症になってもそれは変わりませんでした。

認知症の祖母と遊ぶ

 私の成人式の着物を着てもらったり(祖母は着物を自分で着ることができます。)、一緒に書初めをした思い出もあります。

簡単な計算問題を一緒にやったり、朗読をしたり。

車の免許を取得してからは、一緒に神社に出かけたりスパや公園に連れて行ったり。

ちょっと遠出して、旅行にも出かけました。

冗談を言うと、いつも顔をくしゃくしゃにして笑います。

とはいえ、ほとんどは掃除や料理のために、祖父母の家へ行ける日を見つけては自転車で通っていました。

一緒にご飯を食べた時間も今ではよい思い出です。

寮に戻るために自転車をこぎ出す私を、いつまでも玄関の前で見送ってくれた光景は今でも目に浮かびます。

夕日に照らされて少し不安げな様子の表情で見送られると、後ろ髪を引かれる思いでした。

介護に関わったきっかけ

こんなに孫の私が祖父母の生活を気にかけていたのは叔父から頼まれたからです。

車で1時間離れた隣の市からは頻繁に来ることができないとのことでした。

看護師という職業を目指す私にとって、使命でもあるかのように当たり前のような感じで連絡してきたのです。

もともと母の家族は仲が悪かったこともあり、母方の親戚に優しさを感じたことはありませんでした。

ただ、家族の形を他に知らなかったため、疑問に思わなかったのです。

介護をめぐって子どもたちがもめる日々

 祖母が病気になって入院する必要が出てくると、子どもたちである母のきょうだいが関わってくるようになりました。

高齢の祖父では通院や入院のお世話ができないのです。

介護の必要が出てくると、押し付け合うような態度で、集まれば文句や愚痴が始まります。

母もそんなきょうだいの文句を私にぶつけてきます。

それで祖母の入院もほとんど私が中心になってお世話をしました。

その頃には看護師として働いていたこともあり、ある程度入院について理解している立場にあったからです。

祖母は、認知症ではありますが時々トイレを失敗したり、午前中起き上がれなかったり、(すぐに忘れてしまうので)生活に見守りが必要な程度でした。

もっと大変な患者さんを知っていた私からしたら、どうしてそこまでもめてしまうんだろうと不思議でした。

私がまだまだ子どもだったせいでしょうか。

純粋すぎて、様々な大人の事情が分からなかったこともあります。

それでも、最終的に遺産相続の時にその母のきょうだいたちがお金をめぐって争っている姿をみて嫌気がさしたことも事実です。

ブログを書いていてあふれてきた思い

 祖母のことを書きましたが、書き始めるといろいろな出来事を思い出しました。

事実を細かく並べたなら、ここでは書ききれないほどの出来事があります。

つらいことも多かったため、自分自身で無意識に封印している思い出もあったようです。

今日はその片鱗に触れてしまったようで、書いていたら涙があふれてきて何度も手を止めました。

同時に祖母からもらっていた温かいものを自分の奥深いところで感じました。

あんなに怖かった祖母ですが、確実に愛情は根付いていたんですね。

その事実を確認出来たことは良かったです。

そんな祖母でしたから、亡くなる時にはとてもドラマチックに私に大きなプレゼントを置いていきました。

義理堅い祖母らしいエピソードです。

いつかまたこのテーマで書ける日が来るといいなと思います。

 本日はここまでです。

読んでくださってありがとうございます。

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